大御堂城
竹中半兵衛生誕地

別名-  付近住所 岐阜県揖斐郡大野町公郷 現在 八幡神社
2007/9/15 碑・案内板アリ 日本城郭大系


竹中重元 竹中半兵衛重治公の由緒
 竹中半兵衛重治公は、天文13年9月(1544)大御堂城主竹中遠江守重元公の長男としてこの地で誕生 幼少の頃より学問を好み、特に兵法を学ぶ
 永禄元年(1558)父に従い岩手氏を襲い、岩手に移住し、斎藤龍興に仕える 同7年2月6日家臣十六人を率いて稲葉山城へ登城し、城外の安藤守就軍を呼応して 城を占拠す。信長公の譲渡話を断わり、同年8月龍興に返し、近江の浅井氏の食客となる。翌年栗原山に蟄居中、木下藤吉郎の再三の説得に応じ、藤吉郎の客将分で 信長公に仕えることになる。
 元亀元年(1570)姉川の前哨戦長亭軒城の説得降伏、後戦の横山城守備、翌年の小谷城攻略、天正3年長篠合戦、同5年からの中国攻めで明石親景の帰順、三木城攻撃の兵糧攻め戦法等々、秀吉公の軍師として活躍し、天下人へと育てた。天正7年三木城攻撃中病に倒れ、6月13日平井山の陣中で没す。享年36歳。
 郷土の生んだ英傑として永く顕彰せんとこの碑を建てるものなり。